計画分娩と無痛分娩、そして吸引分娩。
予定日から2日経過した。
子宮口の大きさは0.5cmと先週から変わりない。もともと無痛分娩を選択していた私たち夫婦。まだまだ長くかかりそうな様子。里帰り出産ではなく東京で産むと決めた私たち。親がきてくれるのは限られた時間だけ。そして、夫である私は立会い希望。
そんな諸々のことを考えて計画分娩にすることとした。赤ちゃんの誕生日を決めてしまう感じがして、なんとなく気がひける部分もあったけれど、この調子でずっと長引けばいつかはその決断をしなければならない時が来る。帝王切開となることは私たちの事情を考えると避けたかったのです。
我が家に新しい命が産まれ落ちるまでの経過をここに記していきたい。
❇︎以下は、産院での合間を縫って記載した文章に、後日加筆修正したものです。
▪︎前日
妻は昨日から産院に入院。
朝から促進剤を投与するとのことだ。10ヶ月あまりお腹で育てた命を外に出す心境は、男性には到底わかりえない。くれぐれも母子ともに無事で終えられるように祈るだけだ。
▪︎8:00 計画分娩の朝
昨日の妻からの連絡で、今朝は9時半〜10時に産院に来るようにとの指示。それまでは家の整理をすすめるとする。仕事もお休みをいただくことができ、周りの人には感謝しかない。
今朝の天気は曇り空。前日までの予報では、台風直撃とのことだったから、良い滑り出しといったとこだろうか。随分と涼しくもなり秋めいてきた。
▪︎9:15 産院へ向けて
昨日の妻からの指示通りに、産院へ向かう。入院中の妻はどんな様子だろうか。朝食は取れただろうか。朝起きてからというもの、まだ連絡が取れていない。大丈夫だろうか。
▪︎9:40 産院到着
産院へ一人で来たのは初めてだ。何度か一緒に診察にきたが、これまでの診察フロアとはちがうフロアに案内される。面会シールを胸に貼り、ナースステーション前で待たされる。
妻からの連絡はまだない。一向に既読にもならない。無痛分娩のため、昨日から背中に管を通されたらしい。朝6時くらいから促進剤を投与するとは聞いているが、その影響なのだろうか。
▪︎10:00 waiting
産院ではちょうど別の方のお産の最中だったようでバタバタしているようだ。なので、しばらくナースステーション前で待ちぼうけ。一向にお声がかからない。今は待ちの時だと心の中で繰り返す。
とにかく、どこの子かはわからないけれど、無事お産が終わりますようにと、静かに祈る。うちの娘とおなじ誕生日になるのだろうか。
▪︎10:20 妻に会う
LINEが既読にもならない状態で、産院到着後かれこれ40分ほど経過した。後から来た娘さんのお産にきたのであろう女性も案内されていった。
ナースステーションに声を掛ける、お待たせして本当にごめんなさい、と言われる感じから、存在を忘れられていた様子だ。そんな今日の私の立ち位置を野球にたとえてみる。
バッターは妻、人生初打席。産まれてくる我が子は一塁ランナー。経験豊富な産院の皆様が監督さんだとすると、私はランナーコーチ兼応援団長といったことろだろうか。ここは、一塁ランナーを生還させる長打が必要だ。ベースランニングが楽なホームランが望ましい。そんなことを考えながら監督さんの後に続く。
陣痛室にはベッドに横になる妻がいた。妻にはいろいろな管がつけられ物々しい有様だが、私の顔を見て少し安心した様子。携帯を見る余裕もなかったようで、まだ来ないのかと気になっていたとのこと。待合室と陣痛室は目と鼻の先だったのだが。
妻曰く、今朝は予定通り6時から促進剤の投与が開始された。夜はほとんど寝付けず、ほんの少しお疲れの様子。ずっとベッドの上にいるので外を歩き回りたいとのことだが、トイレで立つこともなく陣痛室で看護師さんの助けを借りるのだそうだ。
陣痛の間隔は6分程度、まだまだ長くなりそうだ。
▪︎11:20 麻酔追加投与
陣痛の痛みが次第に増してくる。遠方のためお互いの両親の支援もないことから、無痛分娩でお願いした。そんなこともあり、ここは無理せずに看護師さんに痛いと伝える。
しばらくして、看護師さんがやってきた。1回目の投与より、少し多い量の麻酔を投与するとのこと。妻の胸元に出ている管に注射器のようなもので麻酔薬らしきものを投与する。この管を通って背中から麻酔が流れ込む、薬剤の冷んやりした感じが背中を伝うのだそうだ。
麻酔の投与からしばらくすると、足の指先が多少痺れる感じがあり、いつも通り歩ける自信はないとのこと。これで陣痛の痛みも和らぐといい。
麻酔投与後は血圧を2分おきくらいに自動で測る必要があるようで、この血圧測定がやっかいもの。よく聞き慣れた血圧測定のビィィーンという重低音が陣痛室に響き渡り、測定を開始する。そこにタイミング悪く陣痛が重なるとかなり苦しいと顔を歪める妻。
陣痛の間隔は4分程度。
▪︎12:00 お昼ごはん
お昼前の確認では、子宮口はまだまだとのことであり、私は今のうちに産院をはなれ、近くの喫茶店でランチにすることにした。お店に入って早々、喫煙か禁煙か問われ、いつものごとく禁煙と回答。すると店員は、全席禁煙ですと案内。一体何の確認だったのだろう。
娘が産まれたらゆっくりとランチなど当分できないのかもしれないなと考えながら、ハンバーグのランチプレートを頬張る。
妻から連絡があり、産院でもお昼ごはんタイムだそうだ。一時休戦といったところかもしれないが、陣痛のさざ波は絶えず妻の体に押し寄せているようだ。
▪︎13:00 破水
お昼から戻る。陣痛室をノックすると看護師さんがいて、何かの処置をした後だった。
無痛だったこともあり、妻はおしっこが漏れた感覚と看護師さんに伝えていたが、これが破水だったよう。おかげでお昼ご飯はあまり食べることができなかったようだ。体勢を変えて陣痛に臨む。
子宮口はまだ3cm、順調に進めば夕方頃だろうとの見解。痛みに耐える妻におおよそのゴールを示してくれたのはありがたい。
本日3回目の麻酔投与。陣痛の間隔は3分程度。
▪︎13:45 続く痛み
妻の様子はかなりぐったりしてきた。少しずつ余裕がなくなってきているのかもしれない。生理痛のような痛みに加えて、腰が割れるように痛いという。この時、夫としては何もしてあげることができない。あれ、無痛だったよな?
看護師さんが子宮口の様子をみてくれた。4cmまで広がっている。陣痛の間隔は1〜5分を行ったり来たりで安定しない。
妻に痛みの度合いを聞くと、10段階のうちすでに9とのこと。ここで9を使ってきた妻。まじか、この先耐えられるだろうか。がんばれ。
▪︎14:00 仮眠
昨晩からぐっすり眠れていない妻も疲れがみえてきたらしく、ゆっくり目を閉じてまどろんできている様子。ここはゆっくりさせてあげるべく、私は一人今朝の新聞に眼を落とす。
しばしゆっくりできるかなと思ったが、看護師さん登場。だいたい1時間に1度くらいのペースで様子を見にきてくれる。看護師さんから痛みの具合を聞かれた妻、痛みが強くて辛いと即答。さっきまでまどろんでいたというのに、はっきりとした受け応え。うとうとはしていたものの、決して痛みが和らいでいるわけではないようだ。本日4回目の麻酔投与。
▪︎15:30 みぞおちの痛み
子宮口が8cmまでひらいてきた。これが10cmまでくると晴れて陣痛室を卒業し、次なるステージへ向かうのだという。痛みは和らぐことなく、ちょうどみぞおちのあたりを誰かな握り潰されているような感じだという。辛そうだ。
看護師さんからは、ちょうどみぞおちの下から麻酔が効くということで、そこが感覚の境目だということらしい。感覚の境目さん、どうか今は広くならないで下さいと願うばかり。
無痛なしの陣痛の大変さは想像できない。
▪︎16:00 分娩室へGO
ポケモンGOや家売る女の「シラスミカ、GO!」と、今年はGOの当たり年だ。産まれてくる子が男のコであれば、ゴウと名付けるのも悪くない。さておき、子宮口の開きほ9.9cmだという、いよいよ妻も分娩室へGOである。
度重なる麻酔の影響で自らの力で立ち上がることもできない妻。そこで、看護師さんの指示に従い、みんなの呼吸を合わせて妻を車椅子に乗せる。本日初めて対面した看護師さんと私の呼吸は合わず、崩れるようにして妻を車椅子に移す。ジャンガジャンガジャンガジャンガジャンガジャンガジャンガジャーン…と頭の中でつぶやく。
▪︎16:15 分娩室
陣痛の波に合わせてイキむ。これは、両親学級で学んだ基本のキだ。分娩室に入った時点で私も妻もそんなことはすっかり忘れていた。
分娩室に入ってもしばらくゆっくりしていた。隣の分娩室でもお産の最中らしく、元気な赤ちゃんの産声が聞こえてきた。そこには私たち夫婦のような時間を過ごした両親がいるのだろうか、見ず知らずの方だろうが感動的だ。次は私たちだと思うと、すでに目が潤んでくる。
そして時は来た。
助産師さんに従うがまま、深く息を吸い止める、イキむ妻。妻の背後から枕ごと首元を前に押す私。こうすると、イキみやすいのだそう。これを何度も繰り返す。これがお産なんだなと実感する。
お腹の張りを測定する機械が描くグラフは富士山のよう。2合目を過ぎたくらいで、呼吸を3回ほど整えてイキむ準備を始める。6合目あたりで大きく息を吸い、7合目でイキむ。一呼吸息継ぎをしてイキむ。いつの間にか富士山の頂上だ。また息継ぎをしてイキむ。しばらくして下山開始。登ってイキみ、下って休憩、ペットボトルのお茶で給水のくりかえし。結局、お産が終わるまで500mlを1本飲み切ることに。
◼︎17:00 吸引
我が子はまだ出て来ない。助産師さんの様子も少しバタバタしてきた。助産師さんが先生を召喚した。どうやら、赤ちゃんの体勢があまり良くないらしく、世の中に対して背中を向けている様子。なんとも、羊水の色味も少しずつ変化しており、このままだと赤ちゃんに良くないので、早めに取り上げる必要があるとのこと。先生から吸引分娩について簡単に説明を受けた。
先生と助産師さんがせわしなく動き、吸引するための器具が準備される、それぞれが割り振られた役割を全うする。
妻はイキみえんやこら。夫である私は枕持ち上げえんやこら。先生は器具を用いてえんやこら。助産師さんは、台に乗って妻の腹部に体重を掛けてえんやこら。
もう少しですよ頑張ってと声をかけていただいた妻のお腹は真っ赤になっていた。後日談では、腹部をトラックに轢かれたような感じだったそうだ。下腹部付近の痛みは麻酔で助けられたものの、みぞおち周辺はやはりかなりの痛みだったらしい。こんなとき夫として気の利いた言葉はかけられず、目の前で頑張っている妻と子供に「頑張ってあと少し」くらいしか言えなかった。
先生が、頭がでてきたことを伝えてくれていた、顔の歪む妻にその声は届かなかった。私から妻にそれを伝えるとひどく驚いていた、無痛だったからその感じもなかったのだろうか。とにかく、気の利かない「頑張ってあと少し」を繰り返していた気がする。
◼︎17:15 初顔合わせ
妻から取り上げられた我が子の様子は、ぐったりで産声もなった。顔色は真っ青で、頭は吸引されたこともありとんがっていた。大丈夫なのかと心配したが、少しか細い声で泣き始めてくれた時は安堵が訪れた。お世話になったみなさんへ感謝の気持ちで胸がいっぱいになった。
◼︎おわりに
出産直後は、細い泣き声だった我が子も今では家中に響き渡るくらいの泣き声で、大人二人を翻弄させています。吸引分娩時の頭もちゃんと丸くなってます。
10ヶ月のマタニティライフは、酷いつわりなどいろんな大変なこともあったけど、本当に頑張ってくれた妻には感謝、ありがとう。
娘もよく頑張ったね、ありがとう。
というわけで、計画、無痛、吸引分娩レポートを終わります。最後まで読んでいただきありがとうございました。